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技術論 その2

 あと、亮さんが感覚的にコメントに書いていたのは、オレの推測ですが「西洋の音楽理論」に対する不信感なんじゃないかと思います。

 現在は音楽といえば、たいていはクラシックでお馴染みの西洋の音楽理論をベースにしていますが、ああした西洋音楽は西洋の上流階級を中心に発達したもので、同じヨーロッパでも民衆音楽とか、他の地域の土着の民族音楽などはまた違ったメソッドから成立したものなんですよね。日本の民謡や童謡、雅楽なども本来は五線譜や西洋音階に規定されている音楽ではないので、明治時代に西洋音楽とすり合わせが図られていますからね。

 たとえば古い教会音楽の旋法(モード)がロマン主義以降のクラシックやジャズで利用されたりしていますが、モードを利用した演奏では一般的なコードでいう不協和音も含まれてきます。クラシック音楽自体、ガチガチに理論、構成が固まって硬直化したので、変化をつける為にジャズや民族音楽を取り入れたり、より実験的な技法を取り入れて現代音楽へ発展しましたし、そうした視点からいえば古典的な西洋音楽理論は絶対的なものではありません。
 演奏技術ということでいえば、たとえば黒人のファンクのバンドでもリズムが突っ込んだりもたったりしてますけど、気持ちのいいズレ方なんですよね。ジャズのスウィング感というのもそうです。楽譜通りジャストタイムにリズムを刻むとああした感覚は消えてしまうので、白人色の強いロックと揺れのある黒人音楽の違いの出やすい部分ですね。先ほどの不協和音の例もそうですが、西洋音楽の理論、楽譜的な正しさからいえば間違っているけれど感覚的にはOK、ということはあったりします。

 音楽理論や演奏技術の高度さ、ということだけにこだわるとすれば、古典的なクラシック音楽や最盛期のジャズが最高峰なのは間違いないでしょうし、ロック以降のポピュラー音楽の歴史などただの劣化でしかないので必要ないですね。実際そうした考え方のリスナーも存在します。
 逆に、その上であえてロック以降のポピュラー音楽に価値を見出すとするならば、音楽理論や演奏技術だけにこだわらずに、それ以外の魅力を積極的に評価するしかないんじゃないかと思います。こういう思考を前提にオレは「演奏技術は1つの要素」という割り切りですね。

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